NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ 湯浅誠理事長×公明党食育・食の安全推進委員会委員長 竹谷とし子参院議員
子どもに無料または低額で食事や居場所を提供する「子ども食堂」が誕生して今月で10年。地域のボランティアによる運営で全国6000カ所以上に広がり、"日本の未来"を育んでいます。その役割や今後のあり方などについて認定NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえの湯浅誠理事長と、公明党食育・食の安全推進委員会委員長の竹谷とし子参院議員が語り合いました。
地域とつながる役割重要 湯浅
NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ 湯浅誠理事長
竹谷 湯浅理事長が2018年に設立された「むすびえ」は、全国の子ども食堂を支えるための地域ネットワークづくりなどに尽力されています。ここ数年、食堂の急速な広がりを感じていますが、実態はどうですか。
湯浅 その通りだと思います。私たちの調査でも、昨年、子ども食堂は全国で6014カ所あることが確認できました。この4年間で毎年1000カ所以上増えている計算です。特に人口10万人当たりの食堂数で見ると、多かったのは沖縄県や鳥取県、高知県などでした。少子高齢化などで地方が"寂しく"なる中、危機感を持った人がその大切さに気付き始めているのだと思います。
竹谷 子ども食堂は、経済的に困っている家庭の子どもだけでなく、子どもなら誰でも来ることができます。さらに地域の高齢者も一緒に食事をしたり、若者がボランティアで参加したりと、多様性に富んでいます。
子育て中の親同士や、親御さんと運営者、ボランティアの若者と子どもとの交流拠点にもなっていて、昔の近所付き合いが再生されているようです。
湯浅 まさに「皆が集まれる」「地域社会とつながれる」という場だからこそ、注目されているのだと思います。人間関係の希薄化が進む現代にあって、子どもの食を支えるという福祉的なマインドを持ちながら、同時に地域とのつながりの窓口にもなるのが、子ども食堂の強みなのです。
竹谷 全ての子どもの居場所になっているのが重要ですね。政府も21年度から5年間の「第4次食育推進基本計画」で、食育推進の観点からも子ども食堂や子ども宅食への支援を位置付けました。公明党の主張が反映されたものです。
湯浅 「食べられない子が行くところ」と見られてしまうと、本当に困っている子どもたちも通いにくくなります。食育ならば、困っている子も含めて全ての子どもたちが通える。評価できる対応です。
安全網の機能強化めざす 竹谷
公明党食育・食の安全推進委員会委員長 竹谷とし子参院議員
湯浅 コロナ禍では当初、人流抑制や会食の自粛が求められ、残念ながら多くの子ども食堂が開催を中止しました。しかし、ボランティアならではの柔軟さで、弁当配布や食材配布などの活動に切り替えて、利用者の方たちとつながり続けようとされています。民間の底力です。
竹谷 私も、子ども食堂を応援するため、国に政府備蓄米を無償提供できるよう働き掛け、20年5月に実現できました。当初は量が少なく手続きも今よりずっと煩雑でしたが、大きく改善され、関係者から「お米があるのは本当に助かる」と喜ばれています。
湯浅 コロナ禍の影響を大きく受け、この2年間で、子ども食堂は政治の重要課題の一つに浮かび上がりました。ただ、子ども食堂は民間の自発的な取り組みであり、困難を抱える子ども全てを支え切れるわけではありません。そこで、私は"2階建て"のあり方が望ましいと考えています。
"1階"は、地域交流の場として民間の裁量に任せ、自由度を高く運営してもらう。その上で、"2階"は、貧困や虐待などの悩みがある子どもの見守り支援などを、行政に代わって担う役割を果たすものです。この部分は、行政の関与を受けるので、行うかどうかは食堂側が選択できるようにしてほしいと思います。
竹谷 子ども食堂の大切な役割がよく分かります。セーフティーネット(安全網)の機能をより強化する施策も欠かせませんね。21年度補正予算に「ひとり親家庭等の食事等支援事業」が盛り込まれました。支援が必要な子育て家庭に食事などを提供する子ども食堂などを支援する事業です。これを23年度の当初予算案に盛り込み、恒久的な支援に位置付けられるよう取り組みます。
湯浅 心強く感じます。子ども食堂には、行政や自治会とのつながりが弱いところも少なくありません。政府が食堂を支える全体像を示し、自治体が目線を合わせられるよう、今後の政治に期待します。
竹谷 公明党の地方議員にも、子ども食堂の支援に携わる議員が多くいます。国会、地方議員のネットワークを生かし、さらに取り組む決意です。
それは"八百屋さん"から始まった
東京・大田区
子ども食堂の"元祖"は2012年8月、東京都大田区で「気まぐれ八百屋だんだん」を営む近藤博子さん【写真】が、「ここで温かいご飯を食べて」と子どもたちのために始めた食堂とされています。給食以外はバナナ1本しか食べられずにいる小学生が地域にいると知ったことがきっかけでした。
「皆の笑顔と成長が励みでした」と、この10年を振り返る近藤さん。「子どもが元気なら未来も明るい」。今も栄養たっぷりの献立に愛情を込めています。